ナタリー


「ランベール」
 後ろから、女性に声をかけられた。
 茶色の髪をポニーテールにした、いかにも活発そうな女性だ。
 文字通り、馬の尾のように髪をはねさせながら、駆け寄ってきた。
「なんだ、何かようか? ナタリー」
「特に用はないわ。見かけたから声をかけただけよ」
 用がないと声をかけちゃだめなの? と、くすくす笑う。
 なぜこの人間族の女性は私にかまうのだろうと、彼は常に思っていた。
 ランベールはドラゴニュート。
 人間族からすれば、魔力や体力、膂力は時に恐ろしく感じることもあるだろう。
 また、身分に厳しい街ではないが、ナタリーは平民、ランベールは貴族である。
 そういうものに臆することなく声を――時にはちょっかいを――かけてくる彼女に、ランベールは一抹以上の興味を持っていた。
「ねえ、この後予定、ある?」
「教授の所へ行く予定だが」
 今日の授業はすべて終わっている。
 だが、ランベールは日課として、担当の教授と討論をしていた。
 それは長ければ数時間に及ぶこともあり、一日のほとんどがつぶれてしまう。
 勉強に継ぐ勉強。
 ランベールにとって、それは充実した毎日であったが、はたから見れば真逆だ。
『若者らしいことを何一つしない、寂しい堅物』
 それが周りの評価だ。
 そして、ナタリーも少しはそう思っている。
「せっかく勉強が終わったのに、また勉強?」
 だからこそ、こうやってランベールに声をかけているのだ。
 本館から研究塔へ向かおうとする彼の前に、ナタリーが回り込む。
 鬱陶しいと思わないのは、ひとえに彼女の性格があるからだろうか。
「ねえ、よかったらこれから出かけない?」
「いや、私は……」
「おいしい喫茶店を見つけたのよ。教授との約束がなければ、だけど」
 たしかに約束はしていない。
 日課になっており、約束するまでもなく、行くのは決定しているからだ。
 彼女のエネルギーに気おされ、そのことが口を滑って出て行った。
「ならちょうどいいじゃない! 行きましょ!」
 ランベールの返答も聞かず、ナタリーは腕を取って歩き出した。
 彼は彼で、約束をしていないからいいか、と、ぼんやり考えていた。


 次の日。
 先日のことを教授に報告すると、盛大に笑われた。
 室内からは見えないが、廊下では偶然通りがかった生徒が、何事かと目を見開いていた。
「そうかそうか。こないと思ったら、そういう理由か」
 涙をぬぐいながら、それでも笑いは止まっていない。
 肩が震えている。
「すみません」
「ああ、謝る必要は無い。約束していたわけではないからな」
 教授はそういうと、イスに座りなおす。
 先ほどまで笑っていたのがうそのように、ふと真面目な顔になった。
「私は心配していたんだよ。ここに入り浸って、大丈夫だろうか、とね」
 ランベールは無言で答える。
 頭上には疑問符が浮かんでいた。
 心底わかっていない彼に、教授が苦笑する。
「若者は若者らしいことをしたほうがいい」
 その顔はどこか悲しげだった。
 教授は人間族。黒い髪には白が混ざり始めている。
「そういうものですか?」
「そういうものだよ。ところで」
 いったん言葉を切った教授の顔が、うって変わって子供のようになる。

「彼女とはどういう関係なんだい?」